大学生の主人公がマイノリティーである理由!なぜ共感しにくい!?

ラノベで大学生が主人公になるのは、滅多にありません。
その理由は、以下の4つです。
「言われてみれば、納得するしかない!」という話……。

結果的に陽キャとして描くから

ラノベの主人公は、最終的に勝ちます。
友情、恋愛、研究、サークル、バイト、就職活動のいずれにしても……。

大学の中心にいる陽キャと、何が違うんですか?

理解のある友人に囲まれ、自分は大きな成果を出して、他人がうらやましがる恋人もいる。
毎日が楽しく、高校時代と比べ物にならないほど充実していて――

それを読んで、誰が楽しめますか?
現実の陽キャはお金を払ってまで読まないし、陰キャにとっては不愉快なだけ!
むろん、高校生では不可能なアクションができるものの……。

何でも行えて自由度が高すぎる!

日本の大学生は、生涯で唯一のモラトリアム。
基本的に親が生活費まで出すから、卒業できるだけの単位取得をすれば、あとは自由!

法律上で成人となり、お酒やタバコをやりつつ、Hも当事者同士の問題。
講義についても、シラバスに基づいて自分で選びます。
「嫌でも一緒」という環境から、「誰も自分を気にしない」という正反対へ!?

大学生の主人公は、ストーリーに絡ませづらい。
親元を離れての一人暮らしで、嫌な相手とは離れるだけでいいキャンパスライフ。
強いて言えば、サークルですが、こちらも辞めるか、部室に行かなければ済みます。

シリーズ累計107万部の『ゴールデンタイム』は、大学生の多田万里ただばんりが主人公。
けれど、「高校までの記憶がない」という、ミステリー風です。
逆に言えば、「純粋に大学生だけで描くと、方向性が定まらない」ということ。

学歴コンプに引っかかりやすい

実質的な義務教育は、高校まで。
さらに、大学受験は偏差値による判定で、合格するところを受けます。
大学生が一人暮らしになるのは、そういった事情から。

つまり、大学生を主人公にすると、学歴コンプに引っかかりやすいのです。

『ゴールデンタイム』のモデルは、東京の中心にある法政大学の市ヶ谷キャンパス。
私立福来大学となっていますが、どこも煌びやかで、華やかな大学生たちが登場します。
地方とは、全く違いますね?

大学のキャンパスライフというだけで、これだけ角が立ちます。
わざわざ大学生にする理由も、ありません。

大学生で健全は無理がありすぎる

もう1つの大きな理由が、大学生のカップルで「Hなし」はあり得ないこと!
高校までは常に誰かが傍にいて、家族と同居でしたが……。

前述した『ゴールデンタイム』は、多田万里がヒロインの加賀香子に振り回されるだけ。
学科やサークルの人間関係もあれど、上手く距離をとっていました。
それでも、「18歳までの記憶を持つ霊魂」のオカルト要素があり、純粋なキャンパスライフにあらず!

恋人同士になれば、どちらかの自宅やラブホでHをします。
一般向けのラノベであれば、直接的な描写を避けるものの、イタしていることに違いなし。
それが、自然なのです。

結局、Hをしないままで付き合える高校生のほうが楽です。
『ゴールデンタイム』を書いた竹宮ゆゆこ先生も、結局は一般文芸へ移りましたし。
ドロドロした人間関係を描きたいのなら、中高生向けのラノベは向いていません。