主人公は、強大な敵に立ち向かい、やがて打ち倒します。
だからこそ、自分を投影しているか応援している読者は喜び、満足するのです。
武器を持たない異世界恋愛ですら、例外ではありません。
読者は主人公に共感したい
ラノベを読む理由は、「現実とは違う活躍をしたいから」です。
むろん、そのジャンルによる傾向はあるものの、主人公は活躍しなければなりません。
ソードや魔法による戦闘だけが、戦いにあらず。
貴族の令嬢や夫人同士の駆け引きだって、立派な戦い!
最初から、チートで無双するのか?
弱い状況から伸し上がるのか?
陰謀が渦巻く場所で、話術や権力によって政敵を倒すのか?
最初は強大か、正体すら不明だったラスボスに迫り、逆転していく様子は、圧巻です♪
主人公と一緒に喜怒哀楽を示すことで、日頃のストレスを発散。
動かない主人公に存在価値なし
「危険を恐れて、周りの評価を気にするあまり、全く動かない」
主人公は何もしないまま、耐え続けるだけ。
周りのおかげで、どんどん問題が解決していく。
それ、もう主人公じゃないですよね?
あらゆる危険から逃げて、ひっそりと暮らす上条当麻は、見たくありません。
『とある魔術の禁書目録』が始まる前に終わるか、読んでいて気分が悪くなるだけ。
同じように、『とある科学の超電磁砲』の御坂美琴も、暴れ回ってこそ!
それが正しいかどうかは、二の次。
主人公は自分が知っている事実で判断したうえで、仲間と共に戦うことが求められます。
プロットを考えておく重要性
作家によって、プロットの作り方が違います。
けれど、その小説の根本を崩してしまうことだけは、絶対に避けなければなりません。
コメントの影響を受けやすいから。
私の意見は、「プロを目指したいのなら、コメント欄を閉鎖しろ!」です。
ただ、それとは別に、守るべきラインがあります。
主人公に、そのジャンルの作風を守って活躍させること!
古代ギリシャの悲劇である『オイディプス王』で、真実を知ったのに開き直ることは許されず。
途中で真実の追及をやめることも、論外です。
罪には罰を与えて、物語を終わらせることが必須……。
力の有無はさしたる問題ではない
2024年では、無力な主人公は敬遠されます。
しかし、力の有無はさしたる問題ではなく、「見つけた問題や困難に立ち向かうか?」です。
『ひぐらしのなく頃に』の前原圭一は、滅茶苦茶でした。
ルートによっては発狂して友人を手にかけるものの、逆境で諦めず、閉鎖的な雛見沢村の悪しき風習すら変えるほどの動きに!?
圭一が最終的に受け入れられたのは、まさしく「主人公だったから」です。
たとえ間違えようと、自分で考えて動き、周りに影響を与えていく姿。
1,400万部の『オーバーロード』のアインズ様も、自ら戦い、その威厳を見せつけているからこそ!
ずっと安全な拠点で命令していたら、ここまでの大ヒットはなかったでしょう。